どぅもー!Joe満(ミツル)です( •̀ᴗ•́ )/
最近、次男がなかなか宿題が進まず、唸ってることが増えましたwww
めんどくさいことをひたすらに後回しにするくせに、切羽詰まった土壇場には、全部やろうとしますwww
宿題や、提出物ができていないと大好きなバスケができないのです。つまり、部活に参加させてもらえないのだとか…(^ω^;);););)
これは、ルールだから仕方ないと思います。嫌なら部活を辞めて別のバスケチームに入るなりの方法もありますしね。
今回は、個人的に…
どうせ、最後にはやるんだから、ハナから手をつけとけば良いのに…(´・ω・`)
と、思ったので、この辺りの心のメカニズムを考えてみたいと思います(´∀`)♪♪
やりたいことをやりたいようにやる
このブログの主題でもある「やりたいことをやりたいようにやる」ということですが、本当に、単純に、言葉通りの「やりたいことをやりたいようにやる」という意味ですwww
うちの次男の場合、バスケはやりたいけど、宿題は面倒臭いからやりたくないのだと思います。
しかし、現実は宿題や提出物という課題をクリアしなければ、部活(バスケ)はできません…。
かと言って、他のミニバスチームなどに入ろうと思っても、送り迎えなど、家の事情により、できないことを知っています。
なおかつ、バスケ部で活動することに不満もなく、楽しむことができているため、「部活として」バスケを続けたいのです。友達もいますし(´・ω・`)
やりたくないことをやる
ここで次男の選択肢として、「やりたくないことをやる」ということを選ばざるを得なくなります…\=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)/
次男なりに考えて、
「宿題」っていうものに意味あるの?!
などという考えも巡らせながら、一方で、
学校という場所では、「宿題をする」というルールがある・・・
と、いうことも理解しているようです。
私は、
宿題は「与えられた課題をこなすための練習」だよ
と、いう言い方をしていますwww
まぁ、なかなか納得はできないと思います(ノ≧ڡ≦)
練習っていうか拷問に近いやろ…
とか、
量が多すぎるやろ……
とか…確かに私としても、今の日本の教育体制には、改善の余地がある気がしています。
とはいえ、現状何を言おうが
宿題やる→バスケできる
の流れは変わりません…(^ω^;);););)
「やりたいことをやりたいようにやる」ために「やりたくないことをやる」
「やりたくないことをやる」上で、まず、しっかり考えなければならないのが、
なぜ、それをやりたくないのか?
っていうことだと思います。
面倒臭い。面白くない。時間がもったいない。やるとイライラする。
まぁ、色々出てくると思います(^ω^;);););)
でも、それらは本当にそうでしょうか??
個人的な見解になりますが、何事もやってみると面白いと思えることは少なからずあったりするものです。そして、プラスになることもあると思います。「無駄」なようで無駄じゃないことも多いように感じます。
「やりたくないこと」の多くは、「やらなければならない理由」に自分が納得できていないのだと思います。
なぜ、やる必要があるのか?逆に、やらない理由は何なのか?
この辺りを追求しまくると、やらないことの理由が無くなり、やることで得られるメリットを考えられるかもしれません。
「やりたくないこと」に対してメリットがあったり、実は面白みがあったり、達成感があったり…しかも、「やりたいことをやりたいようにやる」ためには必要なことだったり…
あれ?メリットしか無くね?(´・ω・`)
やらない理由無くね?(´・ω・`)
と、なれば「やりたいことをやりたいようにやる」ために「やりたくないことをやる」ことは、難しくない気がします(´∀`)♪♪
どんだけ考えても「やる理由」に納得できない
しかし、どれだけ考えても「やる意味」を感じられない場合もあると思います。
そんな時は、やる必要ないと思いますwww
次男の「宿題」や「提出物」が、どんだけ考えても次男にとってやる意味が見い出せないものなら、むしろ、どんな手を使ってでもやらなくて良いと思います(´∀`)♪♪
現にウチの長男は、宿題も提出物も、総スルーでしたwww∑(゜△゜;)
なぜか、高校では、無遅刻無欠席、宿題も提出物もキッチリやって3年生になりましたwww
話は戻りまして…「やる理由」に全く納得できないのなら、やらなくて良い方法を全力で探せば良いと思います♪♪
病は気から、やる気も気から??
「病は気から」と言いますが、私は一理あるな、と思っています。
すごく嫌なことを前にした時に、気が滅入ってしまい、本当に体調が悪くなったり、熱が出たりした経験は私もある気がします。
逆に、めちゃくちゃ嬉しいことがあった時に体調が一気に回復するとかwww
やる気にも似たようなところがあって、
嫌だ嫌だ…(´;ω;`)
と、考えているとやる気も無くなると思います。
しかし、先ほどのように、「やる理由」に納得できれば、
ちょっとやってみようかな(´・ω・`)
などと、思いやすいかもしれません。しかも、やる気って、手をつけることによって出てくるものらしいです゚+。:.゚おぉ(*゚O゚ *)ぉぉ゚.:。+゚
「やる」のか「やらされる」のかの違い
また、別の言い方をすると、「やる」のか「やらされる」のかでも大きく変わるところだと思います。
やらない理由を追求した上で、「やる理由」にある程度の納得が出来れば「やる」ことができます。納得する度合いや納得できなければ、「やらされる」ことになってしまいます…( ᵒ̴̶̷᷄꒳ᵒ̴̶̷᷅ )
我慢は禁物
「やりたいことをやりたいようにやる」ために、「やりたくないことをやる」とした場合に、過度な我慢はストレスにしかならないので、そうなるくらいなら辞めた方が良いと思います。
繰り返しになりますが、「やりたくないこと」に対して、
なぜ、やる必要があるのか?
なぜ、やりたくないのか?
この二つを掘り下げた先に、やっぱり「やる意味」を見出せないのなら、やらない方法を模索すれば良いと思います(´∀`)♪♪
やることにある程度の理解が生まれたけど、やることへの抵抗がある場合は、少しずつやるとか、手を抜くとか、できるだけやるとか、ストレスのない範囲で取り組むのもアリな気がします(´∀`)♪♪
ヤル人、デキル人
少し話は逸れますが、何かに取り組む時に「やる人」と「できる人」がいた場合、どちらが大切でしょうか?
できなくても「やる人」の方が、結果的に良いように思えます。「できる人」でもやらなければ全く意味がありません(><)
オレは、それデキルぜっ!!やらないけどなwww
私は、それできないですけど、ヤってみますっ!!
大袈裟に言うとこんな感じです(´∀`)♪♪
「やることに意義がある!!」などと言いますが、確かに一理あります。しかし、それは、
「やることにある程度の納得」が伴っている場合に限ります。
「やろう!」と思えなければ、意義もクソもありません…(^ω^;);););)
結局は、「やる」か「やらない」かは本人次第、「納得する」か「納得できない」かも本人次第です(´∀`)♪♪
その結果が、「やる」か「やらされる」かですね。
まとめ
「やりたいことをやりたいようにやる」ためには、度々「やりたくないこと」が立ちはだかります…(^ω^;);););)
今回は、こんな「やりたくないこと」への取り組みについて考えてみました(´∀`)♪♪
まとめマース!!
- 「やりたくないこと」をする上で、「なぜ、やりたくないのか?」と「なぜ、やった方が良いのか?」の二つをひたすら追求する。
- 追求した結果、「やることに納得」できれば、とりあえず手をつけてみる。できなければやらないwww
- 「やりたくないこと」を、避けて「やりたいことがやりたいようにできる」のなら、それでも良い。
- 本当に「やりたくない」ことは、やらない方が良い。
- 確かに、どんなことにも「やることに意義はある」…けど、納得できてないなら意義もクソもない。
いかがだったでしょうか?今回も、個人的な見解フルMAXでお送りしました(^ω^;);););)
そんな中でも、皆さんにとって、何かのお役に立てることに繋がれば幸いです(´∀`)♪♪
PS.ウチの次男は、「やりたいことをやりたいようにやる」を「やりたいことだけやる」に変換していたようです…(^ω^;);););)
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