どうもー!Joe満(ミツル)ですっ!!
感情の中でも、制御が難しそうな「怒り」(҂˘̀^˘́)ง
そんな「怒り」について、考えてみました(´∀`)♪♪
できれば排除したい感情ですよね。とはいえ、生きる上で必要な感情であるようにも思えます(´・ω・`)
以前の記事で「争い」について書いたりしましたが、そこへも通じるものなようにも感じます。
アンガーマネジメントの記事について
下記の記事は「アンガーマネジメント」について書かれています♪♪
この記事では、「必要があれば怒ってもいい」という前提でアンガーマネジメントは成り立っていると書かれています。
怒りは、「相手へのリクエスト」と再定義できるとも言っています。
つまりは、「相手へ抱いた期待」が裏切られた(叶わなかった)時に怒りが生じるということですね(´∀`)♪♪
言い換えれば、「〜するべき!」という思いが自分の中にある。とも言えると思います。
また、正しい怒り方として…
- 具体的なリクエストを明確に伝える。
- 機嫌で怒ったり、感情的にならない。
- 人格を否定しない。
- 人前で怒らない。
- 責めるような言い方をしない。
などが挙げられていました。
記事を読んだ時、はじめに私は、「必要があれば怒って良い」ということや、「正しい怒り方」という言葉に抵抗を感じましたが、記事を読み進めていくうちに…
自分の要望を相手に伝えることが大切で、別に怒らなくていいんだ♪♪(´∀`)
と、感じました♪♪
自分が「嫌だ」と感じたり、不快に感じたことに対して、
それは、不快だからやめて欲しいです!
と、伝えられさえすれば、怒る必要はないのだと思います♪♪
人が怒る時の脳のメカニズムの記事について
下記の記事では、「人が怒る時の脳のメカニズム」について触れられています♪♪
この記事では、「自分を傷つけた相手が、自らの行為を間違いだったと気付くか、罰を受けるか、あるいは悔い改めていると知ったときに、人はじつに強い満足感を得られる」と書かれています。
怒りという感情が、ドーパミンによって促進される可能性が高いと考えられているのだそう。
「怒り」という感情から達成感や満足感を得られてしまうわけですね(^ω^;);););)
また、怒りは、動物も持ち得ており、「危険回避」に一役買っているのだとか。
怒りによって「軽々しく扱っていい存在ではない」ことや「自分のほうが上の立場にある」ことを誇示しているそうです。
「怒り」は無くてはならないものだという考え方もあるようですね。
その反面、怒りは精神的なリスクも大きく、不安、 憂鬱感、睡眠トラブル、記憶力や集中力への支障、体重増加などを引き起こす過度なストレスにもなるそうです。
加えて、エネルギー消費も大きいようです。
「怒る」必要性
私は、「嫌われる勇気」と「反応しない練習」という二冊の本より、「怒り」という感情の必要性について考えさせられました。
そもそも、「怒る」必要ってある??
という疑問も生まれました。
この二つの本は、それぞれ「アドラー」と「ブッダ」の思想について書かれたものです。
どちらも、個人的な主観でしかないですが、「真理」に近いと感じました。
アドラーの「怒り」の捉え方
アドラーの唱える「課題の分離」ができれば、大半の「怒り」は消失できると感じます。
「相手の課題」に踏み込むからこそ、「怒り」の感情が生まれるのだと思います。
また、アドラーは「怒りは、相手を屈服させるためなどに使う手段」だと言っています。「出し入れ可能な道具」のようなものだという捉え方です。
アドラーは「目的論」を提唱しており、人の行動のすべては「過去の原因」ではなく、「今の目的」があるから、行われていると考えます。
怒りも突発的なものではなく、その先の目的を得るために、無意識かもしれませんが、「使われて」いる道具のようなものというわけです。
ブッダの「怒り」の捉え方
ブッダは、人間の心の状態は「快」か「不快」の二者択一という考えです。
怒りは承認欲を満たされないことで生まれるとされています。そして、「怒り」を解消するために「攻撃」か「逃避」を選択するとのこと。
場合によっては「相手」ではなく、「自分」を攻撃することにもなるらしい…\=͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇)/
いずれにしても「怒り」は不快をもたらすものであり、まずは、「怒り」の状態に立たないことが大切なのです。
つまりは、「過度な承認欲」は必要ないということ。人に期待し、望み、求めるのではなく、はたまた、人から認められようとするのでもなく、ただ「自分」としてあれば良いということですね(´∀`)♪♪
ここは、アドラーとも通じるところですが、他人と自分を比べることに意味は無いという考えです。
自分の「快」(幸せ)を追求し、その上で「他者貢献」(慈悲)することで、より豊かになれるということです。
「怒り」が発生する原因は相手ではなく自分にある
相手に何かを「期待」し、叶わなかった時に「怒り」は生まれますが、そもそも相手に何かを望んだとしても、それをどうするかは「相手の課題」であり、結果は相手次第です。
そこで生まれた「怒り」は、「自分が認められなかった」という承認欲によるもので、「認めさせたい」という自分の内から生まれたものです。
もしくは、「相手が間違っている=自分の方が正しい」という、思いかもしれません。
承認欲を手放し、「相手の課題」に踏み込まなければ、「相手に期待や望みを求める」こともなくなり、怒りを収めることができるというわけです。
なかなか、一筋縄にはいかないかもしれませんが、考え方をシフトできれば、自分にとって、とても有意義で豊かさにも繋がるように感じます♪♪(´∀`)
合わせて下記の記事もご覧いただけると嬉しいです♫
「怒り」についてのまとめ!
個人的な見解にはなりますが、怒りについてまとめマース!!
- 基本的に「怒り」は必要ない。
- 「怒り」は突発的なものでは無い。
- 「怒り」は目的があって「使われている」
- 「怒り」はコントロールできる。
- 「怒り」は達成感や満足感をもたらすかもしれないが、結果、良いことにはならない。
- 「怒り」の原因は「相手」にはなく、認めさせたいという「自分」の中にある。
「怒り」の感情が湧いた時には、少し立ち止まって考えて見ることで、結果的には自分のプラスになるように感じます♪♪(´∀`)
上手く「怒り」と付き合うことで、人生がより豊かになるかもしれません。
今、何かの「怒り」を抱いている方は、アドラーとブッダの思想に触れてみる価値があると思います♪♪(´∀`)
ぜひ、「嫌われる勇気」と「反応しない練習」をご一読下さい(﹡ˆ﹀ˆ﹡)♡
取り留めもなく進めてまいりましたが、いかがだったでしょうか?
この記事が、皆様にとって何かのお役に立てれば幸いです♫(๑˃̵ᴗ˂̵)
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