【哲学】思考するということ

人間観/哲学/教育論

どうもーJoe満(ミツル)ですー。

ブログ更新が滞っておりましたが、ボチボチ更新していこうかと考えている今日この頃。

最近は、奥様や長男と哲学的な話に花が咲いていて、仕事終わりには決まって話し込んでおりました(*^ω^*)

今回はそんな話の中で得られた気付きや、感じたことなどを書き綴りたいと思います!!

哲学とは??

そもそも、皆さんは哲学と聞いて何を思い浮かべますか?

「自分ってなんだろう?」とか、「時間ってなんだろう?」「愛ってなんだろう?」「言葉ってなんだろう?」「生きる意味ってなんだろう?」

こういったことに考えを巡らせることも哲学だと言えると思います。

調べてみると、こんな記述も見られます。

“哲学は「本質」を洞察することで、その問題を解き明かすための「考え方」を見出す営みだ。”

これも哲学ですね。

私は哲学というものを学んだことがなく、哲学書を読んだこともありません。上に示した程度の認識しかありませんが、哲学というものに強い関心を、抱いています。

私にとっての哲学

そんな哲学のての字もない私が考える哲学は最早、哲学では無いかもしれませんが・・・( ̄▽ ̄;)

私が哲学に拠る理由は、そこに何か自分の求めているものがある気がするからです。

私は哲学とは、より良い生き方やより良い在り方を追求することだと思います。自分自身が本当に求めているものは何かを問い続ける学問こそが哲学だと考えています。

これって生きる上で、ほとんどの方が通る道だと思うんですよね。

答えを出すのではなく、ただ思考する

ここ半月で感じたことですが、哲学において答えを出すことは目的ではないということです。

多少語弊があるかもしれませんが、答えを出すのでは無く、気付きを得るために思考し続けることが哲学だと思います。答えを決め付けた時点で思考が終わってしまうからです。

答えを得られないため、哲学は不必要な学問であるとか、役に立たない学問などとも言われます。

私はそうは思いません。一昔前は、‘ よく分からないな…;;(∩´~`∩);;’という認識でしたが、今は全ての根源とも言えるものだと思っています。

これは大それた発見ではなく、単純に、思考を続けることで人生が豊かになると感じたからです。

自分自身が本当に大切なものをひたすら思考し、追求することで、少しずつ見えるものが変わっていくように感じました。考え方が変わるというよりも物事への捉え方が変わるといった感じです。

哲学は世界に溢れている

愛とは何か?生きるとは何か?自分とは何か?人とは何か?宇宙は永遠か?

こういったことに想いを馳せたのは哲学者だけではありません。

何かを追求する中で、自ずと哲学と結びつくのは必然だと思います。

アインシュタインの言葉にこんなものがあります。

すべての宗教、芸術、科学は、同じ一つの木の枝である。

私はこの言葉で、人間が疑問を追求する中で、枝が分かれ広がって行くのだと感じました。

そして、それは誰もが共通して持っているものだと思います。

私は、映画や音楽を通じて、様々なクリエイターの思考に触れてきました。その度に感銘を受けたり、影響を受けたりしました。考えさせられることや新たな気付きを得ることもありました。しかし、どこか、あくまでそれは他者の視点として捉え、キッカケは感じていても自分を掘り下げることには繋がりきっていませんでした。

掘り下げることはあっても、考えても仕方ないなどと捉え、途中で放棄していました。

世の中に溢れる作品には、こうした追求に追求を重ねた作者の想いが詰まったものがあり、それに触れた人々は、そこに何かを感じ惹き込まれたりもします。

ここ数日で、強く感じたことは、今まで受けた感動を通じて自分自身が感じたことを追求し続けることでより真理に近づけるということでした。

哲学の時間

現代社会において、哲学の時間など用意されていません。自分の意志次第で、哲学をすることはできます。言わば、やるか、やらないか、です。

私もそうでしたが、日々に追われ、自分自身の感情や想いすら後回しにすることが常でした。

現在の若い層も忙しいことに慣れているでしょう。

他人の心情に、神経を割いてばかりで、自分自身と向き合ったり、掘り下げる時間はほとんどないという方も多いと思います。

真に自分自身が何を求めているかを掘り下げ追求することで、答えは出ずとも気付きは得られるはずです。

そこで得られた気付きは、自分が生きる上で大きな糧となると感じます。

寧ろ、何よりも重要なことではないかと思います。

自分はこういう人間だと決めつけるのではなく、なぜそうなのか?を問い続けることで、変化し、発展し、求める自分に近づこうとすることもできるのだと思います。

決めつけたり、思考を止めて放棄した時点で、同時に歩みも止まってしまうように感じます。

私にも言えることですが、「哲学の時間」をもっと意識的にとる必要があると感じています。

大袈裟に言うと「自分の意志で生きている時間」と「自分の意志以外で生かされている時間」のバランスが悪いのです。哲学者からしてみればこんなバカげたことは無いと思います。

しかし、語弊を恐れず言うと、正しくは「自分の意志以外で生かされていると思い込んでいる時間」だと思います(´°Д°`)

時間の使い方は自分自身で選択できるものです。

とどのつまり、最初に話したように単純にやるか、やらないか、だけの話ですwww

哲学の利点

私が現時点で、感じる哲学の利点は、と言っても哲学紛いかもしれませんが・・・( ̄▽ ̄;)

固定概念が薄くなることや、視点が広くなること。自分に正直で在れること。より豊かなものを模索し、探求できること。

私は昔からこうした漠然とした哲学的な考え方は持っていたと思います。音楽を通じて考えるキッカケを得られたことも多いように思います。

しかし、哲学というものをハッキリと認識し、より追求し思考し続けることが大切だと教えてくれたのは奥様でした。

そして、長男はその血を脈々と受け継いだのか、哲学への関心が強く、本当に幅が広い思想を日々巡らせているようです(((o(*゚▽゚*)o)))

アドラーの本を読んだり、新しい思想を追い求めたりしています。

もう、ホントに話してると面白い

人は死んだ後どうなるか?とか、宇宙はどのようにして生まれたか?はたまた、対人関係の話とか・・・(*^_^*)

色んなことに対して議論し、話をしていると発想力が掻き立てられます(๑•̀ㅂ•́)و✧

アインシュタインの言葉にこのようなものもあります。


大切なのは、

疑問を持ち続けることだ。

神聖な好奇心を失ってはならない。

もうひとつ、アインシュタインの言葉。

自分自身の目で見、

自分自身の心で感じる人は、

とても少ない。

自分自身と向き合うことは、難しいことかもしれません。見ないふりしたり、諦めたり、放棄したり…

しかし、しっかりと向き合うことで、より自分を大切にできるのだと思います。

そこに広がる世界こそ、素晴らしいものなのだと、しみじみ感じる今日この頃です。♪♪

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