優越感と劣等感。その先に、あるべき姿を探し出せっ!!

人間観/哲学/教育論

どうもー!Joe満(ミツル)ですー。

周りの人と自分を比べて優越感に浸ったり劣等感に苛まれたり…

どうしても、ふとした瞬間に頭をよぎりますよね(´ヮ`;)

そもそも、必要でしょうかね??この二つ。

優越感とは??

意味を調べてみると…

自分が他者より優れているとの認識、およびここから生じる自己肯定の感情である。

つまり、大前提として他者が必要なんですよね。

本当の意味で何かを成し遂げる時って、他の誰かを越える時ではなく、自分自身の限界を越える時ですよね。

競争の中においても、相手に勝つことが目的であっても、結果的に自分に打ち勝つことこそが、相手を凌ぐ力を身に付けることに繋がるのだと思います。

優越感を感じる時はどんな時??

優越感を感じる時や、優越感に浸りやすい人をリストアップしてみます!!

  • プライドの高い人は優越感に浸りやすい
  • 人を貶(けな)して優越感を感じる
  • 自分が上にいたいと考えている
  • 自己顕示欲が強い
  • 常に人と自分を比較している
  • ライバル心がある

ここで、引っかかるのがプライドの高さや、ライバル心ではないでしょうか??

プライドやライバル心を持つこと

プライドを持つことやライバル心を持つことは、悪いことでない場合も大にしてありますよね。

自分の中にプライドを持つことで、自分自身を高めることに繋がったり、ライバル心によって、切磋琢磨し、自分を成長させたり…。

そもそも目的が自分の成長という所に向いていれば、何の問題もありませんね(´∀`)

これを他人ありきで考えるとおかしなことになってしまいます(´・ω・`)

アイツに勝たなきゃ!

とか…

アイツを負かせてやりたい!!

とか…

結局、優越感がこうした感情に当てはまるなら、必要ないと感じます♪♪

自分を軸に考えるからこそ、他人がライバルにもなるし、自分に軸があるからこそ、プライドを持って生きられるんですよね。

劣等感とは??

こちらも意味を調べてみました!

自分が他人に劣っていると感じること。劣後感(れつごかん)ともいう。

こちらも、大前提として他人が必要なんですよね。

劣等感をバネにして、自分を鍛え上げる!!ことも自己啓発本などでは、よく目にするところです。

確かに、劣等感を感じて自分をもっと高めたい!!と考えることは良いことだと感じます♪♪

こちらも、他人ありきで考えるのではなく、自分自身から「もっと高めたい!!」って思いが出なければ意味が無いように感じます(´・ω・`)

ここの切り分けが非常に大切ですね。

劣等感を感じる時ってどんな時??

劣等感を感じる時や劣等感に苛まれやすい人をリストアップしますっ!

  • 過剰な比較癖がある
  • 視野が狭くなっている
  • 自己肯定感が低い
  • 何かにつけて人を攻撃する
  • よく自慢をする

劣等感が強いがゆえに周りが気になり、常に比較しています。

その上、視野がピンポイントになりがちで、この部分では、自分は劣っている…orz

と、自分を否定的に見てしまい、自己嫌悪に陥ります…(´;ω;`)

かと思えば、違う部分で、自分の価値を見い出せたら、それをひけらかしたり相手の弱い部分を攻撃したりして、劣等感を補おうとします。

これらのネガティブな要素は、アドラー心理学では「劣等コンプレックス」といって「劣等感」とは切り分けられて考えられています。

物凄く簡潔に言うと…

劣等感・・・成長を促すもの

劣等コンプレックス・・・自分を否定するもの

という具合です。

憧れや悔しさを持つこと

自分にはない魅力や力を目の当たりにした時に、憧れを感じたり、自分の至らなさに嘆いてしまうことってありますよね。

これらが、更に自分を高めよう!!という思いを掻き立てるのも事実だと感じます。

しかし、優れた人を見て、自分は劣っていると判断し、劣等感に苛まれ、ネガティブになってしまうのは考えものです…(´ヮ`;)

やはり自分に軸を置き、自分がどう在りたいか?これを思考する必要があると考えます。

その上で、周りの人から刺激を受け、更に考えを深めていければ、尚良し!みたいな(´∀`)

優劣は必要ない

現代社会では、どうしても競争や評価が存在しており、その中で、優越感や劣等感を感じてしまう場面が多々あります。

競争や、評価の上では、ピンポイントな視点で判断する必要がありますよね。ここを履き違えると、優越感や劣等感に繋がってしまいます。

あくまで局所的な見方での判断であって、人が生きる上で本質的な部分への優劣なんて付けようがありません

これを知っていることが大切だと感じます。

金持ちが優れている?

能力があるものが勝っている?

容姿端麗であるものが秀でている??

そう判断する人もいるでしょうが、それは、本質ではありません

誰かと比較して、優っているとか劣っているという判断には意味を感じられません。

自分が在りたいと思う姿を追求する人こそが優劣とはまったく違う次元にある豊かさを持った人なのだと感じます。

心理学者のアドラーも競争は必要ないと言っていますが、あくまで、他人と比較することに意味がないということだと感じます。

自分に軸をしっかりと置いていれば、必要以上に周りの目を気にすることも無くなるのではないでしょうか??

結局は自分に立ち返り、自分が真に在りたいと思える姿を考え、試行錯誤することにこそ意味があるのだと感じます(´∀`)

この記事が皆さんにとって何かの役に立てれば幸いです♪♪

コメント

タイトルとURLをコピーしました